STEAM教育を英語で学べる オルタナティブスクール
Concept
琉球GLOCALキッズとは?
みんながハッピーになる学びの場所
子供たち、保護者、沖縄の外国人、そして運営する私たちも、この学校にかかわるみんながハッピーになれる場所を作りたいと思います。
子供たちへ
居場所がない?
自分が好きじゃない?
やりたいことがない?
そんな子供たちが、ありのままで、世界の多様な人と触れ合って、自分や沖縄も好きになれるような環境を作りたい。そう思ってこの学校を作ることにしました。
世界には、自分と全く違う考え方をする人がたくさんいます。広い世界から自分をみると、今の自分の悩みも、ちがった角度からみることができて、解決できたり、気にならなくなったりします。
私は、すごく優秀で美しい姉と、期待の長男の、間に生まれた次女です。父は家督を継ぐ長男の誕生を待ち望んでいて、女の私が生まれたときには、さぞがっかりしたようです。何かにつけ、出来の良い姉と比べられました。それで私は小さいときから、自分は望まれなかった子供だと感じて育ちました。大人たちの気を引きたくて悪いことをしたり、いじめに加わったり、いじめられて不登校になったり、何一つ楽しい思い出のない小学生時代でした。
中学に入って、英語の授業が始まりました。英語を習い始めたとき、なんとなく、自分の世界が広がって、別の世界にいけるような気がしました。英語を話す私は、これまでの自信の無い自分と違って、キラキラした別人になったような気もしました。担任だった英語の先生も、私を気にかけて、厳しいながらも、何かできたら大げさに褒めてくれました。そんな経験ははじめてで、嬉しくて、英語を勉強するようになりました。
「姉より絶対に上の高校・大学に行こう」と、受験も必死にがんばりました。それも無駄ではなかったですが、今思うと、この小中高の時代に、つまらないテスト勉強より、もっと自分の好きなことをみつけたり、何かに熱中したりしておいたらよかったと、少し後悔しています。いまの子供たちに、同じ受験戦争に巻き込まれてほしいとは思いません。18歳までの貴重な成長期は、視野を広げて、たくさん考えて、好きなことに熱中すべきだと思います。
中学の素晴らしい英語の先生の影響で、私も、語学の先生になりたいと思うようになりました。英語もいいけど、自分の言葉である日本語を、外国の人たちに教えてみたいと思いました。それで、大学では言語学を学んで、大学院まで行きました。でも、そのころは、大学院を出ていても、日本語の先生の仕事がぜんぜんありませんでした。それで、唯一みつかったルーマニアに行きました。
ルーマニアは、夢見ていた「ヨーロッパ」とは大違いで、野犬とホームレスだらけの、大変なところでした。給料も月5千円ぐらいで、なんとかギリギリ生活をしていました。ルーマニア人から激しく差別されているロマの人たちも、たくさんいました。私もアジア人として、ロマの人たちから激しく差別されました。世界にはこんな目に遭いながら生きている人がたくさんいるんだと実感して、驚きました。
ルーマニアで1年働いて、仕事を続けたいと思いましたが、契約が終わってしまいました。仕方なく、次の国、ラトビアへ行きました。ラトビアは、寒くて貧乏で暗くて、とにかく過酷でした。寂しくて辛くて、お酒もたくさん飲みました。アルコール中毒寸前で、人間関係も私生活もめちゃくちゃでしたが、仕事はなんとかがんばりました。
その時に私を支えてくれたのは、ラトビア人の学生たちでした。私が病気になったら、かわいい学生たちが、薬とごはんを持って代わる代わる家までお見舞いに来てくれました。私の家で何か壊れたら、学生のお父さんが大工道具を持って修理に来てくれました。みんな、家族のように大事にしてくれました。騙されて逮捕されそうになったこともありましたが、ラトビア人の同僚の女性とドイツ人の弁護士さんが助けてくれました。そんな人たちの支えがあって、私はラトビアで4年間、なんとか生き延びることができました。そして、ようやくフランスに仕事をみつけて移動して2年働いた後、インターネットで琉大の仕事をみつけて、沖縄に来ることができました。
私は、この外国での7年間で、失敗も山ほどしましたが、自分や日本のよいところもわるいところも、たくさん発見できました。広い世界から、日本や自分、沖縄もみることができるようになりました。自分の見方も、変わりました。私が味わったこの感覚を、沖縄のたくさんの子供たちにも体験してほしいと思っています。